この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
縦断忘年会で人間と会話していたら褒められた。
そこで、人間と会話することは、誰にとっても簡単であるわけではないという話。
過去
幼稚園にはまともに通わなかった。
待機児童だとか家庭の事情とかそういうことではなく、入園自体はしたが、行きたくなかったというだけである。
無気力であるという理由もあるが、人間の見た目が無理だった。
そうすると特にすることもなく、残念ながらその頃から無気力で、ひたすら寝ていた。
記憶は誇張されるので多分実際にはそんなに長くないと思いつつも、記憶では毎日食事と入浴と排泄くらいしか起きていなかった気がする。
何もしたくないため、家を出ることも少なく、もちろん友人も少なかったが、それでも同年代の人が「小学校に早く行きたい」と思っていることを知っていた。
小学校に行きたいなど感じていなかった。ランドセルを買いに行くときには勉学の苦しみのメタファーを感じたし、非常に行きたくなかった。
小学校に入った。
1 年生になる。知らない人がたくさんいる。
会話は面倒であると思いながらも頑張って会話していた。
といっても週に数回話す程度である。
勉強はとても面倒であり、していなかった。
叱られる事自体にあまりデメリットを感じていなかったので、宿題はしなかった。
教科書も持たずになんとなく登校して、食事も面倒なので給食もまともに食べずに過ごしていた。
給食はなぜか対面して食べるのである。対面すると人間の顔が見える。食事という、吐き気がある場合にしにくい作業を、よりによって対面してする意味はないだろうに、なんて今でも思う*3。
寝ていられないどころかなぜか同級生の運動している様子を見なければいけない体育はとても嫌であった。
そのような感情が一般的ではないことに気がついたのは多分この頃だったと思う。
2 年生になる。クラス替えが行われる。
今と同じで、人の顔と名前を覚えるのが苦手である。
話すのでさえ面倒なのに、何を話したのか、誰と話したのか、そしていま目の前にいる人が誰なのかわからなかったため会話をしなくなった。
あまりに会話をしないのと、人の目を見て話さないあたりで担任に発達障害を疑われ、とても面倒なことになった。
発達障害ではなかった。
多分この頃には、人間が無理になっており視野に人間がいるのが気持ち悪いと感じていたと思う。
特定の人間がダメなのではなく、生物の見た目がダメと言う感じであった。
今でも人の目を見て会話することはあまりない。
3 年生になる。
人の目を見て話すことにこだわる先生がいたため、なんとか見ようとしていたのだが、人間を見ていると気持ちが悪くなる。
そこで画期的かつ不可逆な発想に至る。
視力を悪くすることで、視線の先にある人間を認識できなくする手法である。
視力を悪くしたことで、人の目を見て話せるようになった。
しかし実際には人の目や顔などは認識できていないだけである。
4 年生から 5 年生はそのままであった。
視力が落ちている(が、それを隠している)ので成績が悪いのは単に頭が悪いとされていた。
実際に勉強ができなかったので正しいが、黒板に書いてある文字が読めない問題もあった。
6 年生になった頃、風呂場でどこからが浴槽なのかわからないため転んだ。
これにより視力が悪いことがバレてしまう。
視力が矯正された。
人の顔が認識できてしまうようになった。
非常につらいため、また人間と話せなくなった。
この頃、幸運にも自分のパソコンがインターネットに接続された。
他の人からすると「なにかしている」だけで安心されたのか、あまり話しかけられなくなったので、これ幸いとゲームをしていた。
中学に入った。
部活動を強制する古臭い中学校で、だいたいの部活は部員が存在し、その部員と会話をすることになるのである。
部活を作り、ゲームをするためにパソコン室を部室とした。
登下校中は人が多いので、親に自動車で送ってもらって登校していた。
部員は当初 3 人だったのだが、パソコン室にはクーラーがあるため、それにつられてきた新入部員が増えたことにより残念ながら部員と接する必要が出てきてしまう。
部活が苦痛になってしまうが、前述の通り部活は基本的に強制である。
「基本的に」ということは抜け穴があるわけで、部活をしなくていい条件はいくつかあった。
一つはテスト期間である。そのせいでテストは好きになれた。とはいえテストでいい点数を取る気もないので 100 点中 40 点くらいを取っていた。
本命はもう一つの「不謹慎な行為による部活動停止」である。
パソコン室の備品を破壊することで、部活動は停止した。
それにより部活動(とそれによる部員との対面)から逃げることができた。
部室の鍵をなくしたり、蛍光灯を割ったり、部活動を終了しなければいけない時間より後まで残ったり、校区外を通って帰ったりして、何度も部活動を停止させていた。
中学卒業に伴って問題が生じる。
高校受験である。
高校は学力を見るのだが、残念ながら勉強をしていないため受験に受からない。
ヤンキーに近いほど人間はなぜか人の目を見て話すとか、握手や肩を組むなどのボディタッチをしたりとかする。
そんな感じで、人間の中でもヤンキー的な人とはうまく接するのがより面倒なので、偏差値の高い高校に行きたいなあと思った。
できれば家でじっとしていたかったのだが、就職か高校と言う感じだったので、高校を受けた。
落ちた!
しょうがないので、高校っぽいところに行くことになった。
高校っぽいところでは、社会不適合っぽい人が比較的多かったと思う。
やたらと隣の人と話す授業が多かったので、隣の人の名前は覚えている。
クラス内順位は下から3番*4。
社会不適合っぽい人が多いからか、パソコンを持参してそれで遊んでいたが特に問題視されなかった。
そして留年ギリギリを攻めていた高校っぽいところの生活も終わる。
勉強しない人が多いので、卒業時にはクラス内順位は23位*5くらいになれた。
この頃から、来るべき就活に備えて写真などで人の顔を見る練習をした。
こちらを向いていない人間の顔はなんとか耐えられるが、正面写真は苦痛であった。
人の目を見て話すリハビリの開始
この頃から、人間と接するだけでこんなにも苦痛を感じるのは「ヤバい」ので、慣れようかなという気分になった。
人間に慣れるためにはどうすればいいか!
そこから少しずつ人間に近づけていけばいいのでは!*6
3D モデルのキャラクターが出るゲームをするなどで、少しずつ人間の見た目に慣れていった。
偶然にも、生まれた時代は 3D モデルの進化はちょうど良かった。
この時代に生まれたからこそ人間らしくないが人間をもしたモデルが大量にゲーム内に存在したし、時代に合わせてより人間らしくなっていった。
数年後、次にくるのは、大学 or 就職である。
高校 or 就職と同様に、大学を選んだ。
ただ、今度の問題は、大学に落ちると大学っぽいところがあまりないため、就職になるところである。
学校というのはいいもので、留年はあるけど勉学の不足による退学はほとんど無い。
それを求めて大学を受験し、合格した大学に進んだ。
この頃には 3D モデルから写真を用いた人の顔を見る練習を始めていた。
正面でこちらを向いた写真は無理であるが、こちらに興味を持っていないような、後ろ姿や横顔には少し慣れてきた。
徐々に人を見ることに慣れた一方で、人の顔を見る苦痛がより大きい時代に写真を見たせいで、写真自体が苦痛になった。
これはトレードオフの一種だろう。
それから 3 年ほどして、こちらを向いている写真も一応見ることができるようになった。
実際の人間に対しても、顔から 30 度くらい顔を背け、ぎりぎり視野に入るくらいで会話できるようになった。とはいえ苦痛である。
更に数年後、テレビなどを見ることで、動いている人間でも正面から見られるようになってきた。
人間から 30 度くらい顔を背け、ぎりぎり視野に入るくらいで会話しても、そこまで苦痛ではなくなった。
人の顔を見て会話する意味は特にまだ感じなかった。
それでも、去年あたりに目を見て会話できるようになってきた。
人の顔を見て会話できるようになって
日本は「人間の発言には本音と建前」の社会であるなどと言う人がいた。
相手の感情は、文字場の情報よりも口調や表情から分かると言う。
数年前までは、建前から本音がわからないことや、どれが建前であることかがわからないことは、相手の表情を見ていないからこそ生じている問題だと思っていた。
表情を見れるようになった今、表情を見た上でさえ建前を区別できないことが判明する絶望があった。
小学校の担任は言った。「目を見て話を聞くことで、ちゃんと内容が頭に入る。」
そんなことはなかった。
人間の顔を見るちょっとした苦痛により、むしろ内容は頭に入らない。
人の目を見て会話して、内容が頭に入るわけではなかった絶望があった。
人間と接することに慣れようとしたこれまでの努力は何だったのか。
人間を見なければいけないのはなぜなのだろうか。
人間が写った写真を見て、人間が写った動画を見て、気持ち悪いと思いながら過ごした日々は何だったのか。
これから
布団に入って天井を見てボーッとしていたら寝ていた……なんて生活がしたかったな。
これからも、人間関係を円滑にするだけの意味のないルールのために、時間は奪われ、苦痛を感じ、ルールを守れるようになって絶望するのだろうな。
人生は、辛く厳しい。
2018年12月01日